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第1回 追悼・阿久悠氏

第1回 追悼・阿久悠氏 ~大作詞家からみた小林利雄

岩佐陽一

column1_1 去る’07年、8月1日、我が国を代表する作詞家にして作家の阿久悠氏が逝去された 。享年70歳。尾崎紀世彦の「また逢う日まで」やピンク・レディーの「UFO」など幾多の名曲を生んだ大ヒットメーカーのあまりにも早過ぎる死の報せは列島を駆け巡った。
 その阿久氏が広告代理店・宣弘社の社員だったことは存外、知られていない。もちろんご本人がそのことを隠していた訳ではない。
 「映画志望でしたからね。もしかしたら映画に近いところの仕事ができるんじゃないかと思って入った訳ですけど、不思議な感じがしました。銀座の雑居ビルみたいなとこ ろにあってね。ずいぶんと乱暴な会社で(笑)、入った途端に“コンテ描ける?”なんて言うんですから」。
 コンテというのはTV-CM用の絵コンテのことで、阿久氏は入社早々右も左も分からぬまま、ライト付きのトレス台で絵コンテやポスターを描いていたという。
 その、宣弘社の新入社員だった阿久氏から見た社長=小林利雄の印象は……。
 「階段を鼻唄歌いながら飛び跳ねて、スキップしながら上ってくる姿が今でも目に焼き付いてますね。いわゆる“社長”のイメージとは全然違う訳ですよ。僕 らの思い込んでいる社長像というのは貫禄がなきゃいけない……それとは違う種類の社長がいるんだと思いました(笑)」。

column1_2 そんなある日、当時武蔵野美術大学の学生だった上村一夫(漫画家/故人)がアルバイトで入って来る。多芸な上村氏は得意の絵以外にも音楽の才能を発揮。 彼の奏でるギターの演奏に触発されて、阿久氏はそこで生まれて初めて詞を書いたという。つまり後の大作詞家=阿久悠の萌芽は既に宣弘社時代にあった訳だ。
 後年、阿久氏はそんな古巣の宣弘社作品、『スーパーロボット レッドバロン』の主題歌や挿入歌の作詞を手掛けることに。まさに“人間万事塞翁が馬”の諺を体現していよう。同時にそれは、阿久氏が巨匠たる何よりの証で もある。
 慎んで阿久氏のご冥福をお祈り致します。

 

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