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第6回 小林利雄、かく語りき・其之弐

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第6回 小林利雄、かく語りき・其之弐
~「遊星王子」~「快傑ハリマオ」の頃

岩佐陽一

 前回に引き続き、小林利雄氏の生前の証言をご紹介しよう。
前回は元祖・宣弘社ヒーローである月光仮面の話題に終始したが、今回は遊星王子や快傑ハリマオら、月光の後継者たちにまつわる証言を掲載する。

column6_11 まずはTV宇宙人ヒーローの元祖、『遊星王子』(58年)から。
小林「『月光仮面』がTBSで放映されて、半年遅れくらいでスタートしたのが『遊星王子』です。あの番組は日本テレビで放映されました。原作と脚本は伊上(勝)君ですね」。
“伊上君”とは、当時、宣弘社の社員だった井上正喜氏のこと。『月光仮面』を観て宣弘社に入社し、『月光』の後半から脚本に参加した井上氏は、自身で 『遊星王子』の企画を考え、提出したところ、社長の鶴のひと声で制作が決定。そのまま全話の脚本を手懸けることとなったそうな。今では考えられない、夢の ような話だ。そして、ペンネームの伊上勝で華々しく脚本家デビューを飾ることに。
小林「当時、彼は喜んで書いてましたね。元々映画の脚本家志望だったから。早いんですよ、彼は書くのが。それでいて面白い。早く亡くなって、実に惜しかったね」
『遊星王子』以後も『快傑ハリマオ』(60年)や『隠密剣士』(62年)といった、宣弘社を代表するヒーローものを数多く手懸け、フリーになってからも 『仮面の忍者 赤影』(67年)や『仮面ライダー』(71年)といった、我が国の誇るTVヒーローを幾つも創出していった伊上氏は、小林氏の言葉通り、91年に60歳と いう若さでこの世を去った。
その伊上氏が、影の貢献者であるなら、表の功労者は出演俳優陣ということになろう。小林氏が印象に残っている出演者は……?
小林「それはなんといっても大瀬康一君ですけど、牧冬吉さんもよかったですね。出演の経緯はちょっと忘れちゃいましたが。最初は悪役で出ていたんだけど、 『隠密剣士』の霧の遁兵衛役ですっかり人気が出ちゃって。以降は正義側として活躍してもらいました」
もうひとりは、『快傑ハリマオ』の村雨五郎役や『仮面の忍者 赤影』の甲賀幻妖斉役などで知られる天津敏氏とのことだが……
小林「彼もうまかったですね、演劇者として。悪役の主役を専門に演っていたけど、牧冬吉とは違った面がまたあって、大変良かった」
宣弘社作品を支えた名バイ=プレイヤーたるお二方も既に鬼籍に入られて久しい。しかも牧氏は67歳、天津氏に至っては59歳とやはり早逝だ。つくづく世の無情を感じてならない……。

column6_12 さて、ご両名が存分に活躍した『快傑ハリマオ』では、当時としては画期的な海外(カンボジア・アンコールワット)ロケを敢行している。
小林「あの頃、本編(映画)でも滅多に海外ロケなんかやったことない。“だったらいっぺん、そういうことをやろうじゃないか?”と。それでやったんです よ。そもそも『ハリマオ』をやろうと言い出したのは僕だし。とにかく“人のやれないことをやろう”と。みんなが“アンコールワットなんか行ける訳ねぇ”っ て言うから、“じゃあ行こうよ”と(笑)。まぁ、度胸はあったね。バンコクからチャーター機に乗り、運転者の隣りに陣取って、アンコールワットの上空を低 空で廻ってもらって。飛行機の中からこことここを撮るとか、10名くらいのスタッフに指示を出したんですよ」
“人のやれないことをやろう”こそ、本連載でも幾度となく書き綴ってきた小林利雄のモットー。その前人未到のパイオニア精神こそが、宣弘社が昭和30年 代の日本を席巻した原動力となったことは想像に難くない。
『ハリマオ』ではさらにもうひとつ、前人未到のトピックスがあった。
小林「当時、後に社長になる日本テレビの福井(近夫)さんにね、“小林君、カラーをやるぞ”と言われて。だって当時はカラーなんかないでしょう? そんなの撮れって言われたって(苦笑)。“大体、カラーテレビだってないのに何を言っているんですか?”と言ったら、“だから撮ろうと思っているんだ” と。“じゃあ5、6本だけ撮りましょう”ということで、5本(第1~5話)ばかりカラーをやったんです。これがまた綺麗だったね。でも、カラーで撮ったら 画面にどんな色が出るか、こっちもさっぱり分からない(苦笑)。これは“将来的にカラーは重要な問題になるな”と思いましたよ、当時」
そう、一体何名の日本人が『ハリマオ』のカラー放送を当時観ていたかは分からないが、『ハリマオ』こそが16㎜フィルム作品における本邦初のカラー放送番組だったのだ。
最後に印象的な小林利雄氏のお言葉を紹介して本稿を締めくくろう。
筆者はこの言葉を、視聴者や世間の顔色ばかりを窺い、夢や冒険を忘れた今のすべてのTV関係者たちに捧げたい。
小林「何しろ冒険をやりましたよ、すべて。他ができないことをね。恐いなんて思ったことは一度もありません」

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