『隠密剣士 HDリマスター版』スタート及び特別番組
『隠密剣士と伊上勝の世界』放送記念

周作少年役 大森俊介独占インタビュー

 

 スカパー! 他 CS局で視聴可能なファミリー劇場にて、ついに念願の『隠密剣士 HDリマスター版』が本年2月12日(土)より毎週土曜日AM7:00〜8:00 他にてスタート!
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 さらには『隠密剣士』の生みの親のひとり、脚本家の伊上勝氏にスポットを当てた特別番組『隠密剣士と伊上勝の世界』もオンエア
(詳細はhttp://www.fami-geki.com/detail/index.php?fami_id=00625)。

そこで、約50年の刻(とき)を経て、周作少年を演じていた大森俊介氏にお話を伺った。

大森俊介氏大森 小学校1年生のときに劇団日本児童に入りました。母か父か……自分からではなく両親の勧めですね。しゃべり方が早口だったので、それを直すためだと聞いたことがあります。劇団に入ると色々な演技の指導をしてくれるんです。「外郎売(ういろううり)」とか、「となりの客はよく柿食う客だ」とか、早口言葉みたいな練習もしてくれるんですね。よくそういう訓練をやっていました。先輩には、「ムー、ヤー、ターッ!」で有名な『少年ジェット』(59年)で主演の方(中島裕史)もいらっしゃって“すごい劇団に入ちゃったな”と思ってました。
――デビュー作は?
大森 デビュー作というのは、ひめゆり部隊の映画化があったんですよ。『太平洋戦争と姫ゆり部隊』(62年/大蔵[旧大映]映画)かなぁ? 小学校2年生の夏くらいのことで、千葉県の館山に撮影に行ってました。それがデビューなのかはちょっと分かりませんが。記憶の中で一番古い作品はそれですね。
 きちんとした役で出たのは、長塚節の『土』(明治43年発表)という作品があるんです。劇団文化座の佐々木愛さんっていらっしゃいますよね? 日本テレビのドラマ(編注:1962年放送)があって、佐々木愛さんの弟役で、監督は内田吐夢先生でした。連続ドラマで……それがきちっとした役で出た最初だったのかもしれません。ちゃんと名前が、大森俊介って出たのは(笑)。
 愛さんのお父さん(演出家・佐佐木隆氏)が劇団文化座の代表で(編注:現在は佐々木愛さんが主宰)、舞台もあったんですけど、事情があって辞退しました。佐々木愛さんのお母さんも有名な女優さん(鈴木光枝)なんですよ。愛さんにはその後もお手紙を頂いたり交流があって、弟のように可愛がって頂きました。
――周作少年役は、オーディションのご記憶はないんですよね?
大森 はい。子役ばっかり扱っている劇団だったので写真とかなんかで……熊本さんというマネージャーの方がいたので劇団の推薦で決まったんじゃないかと。分からないですけどね(笑)。多分、第一部で「廣野の剣風」に出演したときの印象が良くて、船床(定男)監督に気に入られて、第二部の忍者ものになったときに抜擢じゃないけど、決まったんじゃないでしょうか。
――第一部のロケは長野県の野辺山で行われたとか?
大森 野辺山だと思うんですけどね。小海線に乗って行った憶えがあるんで。トンネルに入ると窓から煙が入り車内がモウモウとなってしまう蒸気機関車に乗った憶えがあるなぁ……だと思いますよ。
――ロケバスではないんですか? 現地に行ってからレクリエーションで乗られたとかではなく? 
大森 行くときに乗りました。もうロケハンはそちらに行っていて、後から合流で……じゃないかと思います。
――それでは、新宿駅から中央線で?
大森 後発部隊の方とご一緒に家族4人で行ったと思います。
当時は野木(小四郎/当時は助監督)さんがやっぱりよくしてくれました。翌日の撮影が遠方のロケ地で、家から通えないときには、野木さんのご自宅に泊めて頂いたこともありました。奥さんもご一緒に夕食をご馳走になったと思うんですけど。場所は撮影所の近くだったと思いますよ。せいぜい10分か15分くらいかな。
 普段は始発に乗ってひとりで撮影所に行くんですが、撮影所は調布か布田か……丁度間くらいにあったんじゃないですかね。駅からも10分はかかってなかったと思うんですけど……畑の間を抜けて行って。畑ではあの当時色々な作物を栽培していて、夏なんかは真っ赤なトマトを作っていて、もらって食べたのか……盗んではいないと思うんで(笑)。もぎって食べると冷たくて美味しいんですよ。
――大瀬(康一)さんの印象は如何でした? 初対面、あるいは撮影中の。
大森 優しくしてもらっていたと思いますよ(笑)。京都に撮影に行ったときは一緒の旅館に泊まっていまして、ずいぶん可愛がってもらいました。多分、飛行機に乗ったのも初めて……大瀬さんとね。京都撮影の帰りだと思うんですけど。大瀬さんが自前で出してくれたんじゃないかな?(笑)
――行きは?
大森 行きは電車(特急こだま)で行ったんだろうなぁ。あの、映画の『隠密剣士』(編注:東映製作・配給)も2本撮ってるんですよ。1本目は学校の都合があって休めないので、例えば“京都に一か月以上撮影に行ってくれ”と言われても公立の小学校で休めないので、親がお断りしたようです。どなたか他の方が出てるんですよ。2本目は夏休みに近い時期だったんで、もうひと月間以上ズッと京都でひとりで、吉野旅館っていったっけなぁ? 旅館の中に池がある老舗旅館だったと思います。旅館のお嬢さんにまるで実の弟のように良くして頂いて。
――ご両親は全然いらっしゃらず?
大森 一回ぐらい来たのかな? あんまり憶えていないんですよ(笑)。学校があるようなとき……7月の初めぐらいから多分8月中ぐらいまで旅館住まいだったんですが、京極が直ぐ近くで、旅館の近所の同年代の子と仲良くなって遊んでいたら、補導されちゃったりして、びっくりしましたね(笑)。最初で最後の経験です。
 そのときは大瀬さんをはじめスタッフが京都にみんな来ているんで、京都周辺で撮影してたんじゃないかなぁ? テレビのほうも。もちろん監督(船床定男)さんも来ていますからね。
 そういえば大覚寺の池に入ったことがありましたよ。飛び込まないけど、フンドシひとつで池に入って行ったシーンもあったように記憶してます。
――霧の遁兵衛役の牧冬吉さんとの思い出は?
大森 50年近く前のことなので、そんなにパッとは思い出せませんが……(京王線の)百草(もぐさ)園の近くに岩風呂みたいなお風呂屋さんがあって、今流の立ち寄り湯みたいな所でしょうか。そこで牧さん達と一緒にお風呂に入るシーンを撮った憶えはあります。もうスッポンポンでね(笑)。今でも営業されているのかな?
 牧さんはベテランの役者さんで、演技も殺陣周りも熱心で、忍者道を極めた方だと思います。京都でのお葬式に参列できずに残念に思っています。
――船床監督の印象、思い出は?
大森 船床先生は息子さんが当時僕と同じぐらい、ひとつ下ぐらいだったのかな? だからそんなこともあって……熱心に愛情もって演技指導をしてくださいました。ですから劇中の周作少年は私の演技ではなく、監督の想いを表現した結果だったんだと思います。
 船床先生には、白土三平さんの劇画『ワタリ』の映画化(『大忍術映画 ワタリ』[66年])で、再三出演の依頼を頂きましたが、学業優先でお断りしました。もし出演していたら私の人生も変わっていたかもしれませんね。
 あと、この頃はみんなアフレコだったんです。アオイスタジオっていったっけなぁ……編集された映像の“口や表情”の動きに合わせてセリフや「えぃ! やー!!」といった声を録音するのですが、これが結構楽しかったですよ。撮影するときにアドリブで台本と全然違ったセリフを言ったりするので、アフレコで困らないようにそれを細かく記録してくれているんです。
 その他、アオイスタジオには喫茶と軽食ができるカウンター形式のレストランがあって、カレーライスをよく食べましたね。そこのカレーライスの特徴は、ジャガイモを賽の目に切ってあって、小さいサイコロのような……ジャガイモが沢山入ってる訳です。それがとても美味しかったですね(笑)。
――最後に当時『隠密剣士』をご覧になっていた方、DVDやファミリー劇場でのHDリマスター版の放送で半世紀ぶりに観直される方、あるいは初めてご覧になるみなさんに、周作少年からメッセージをお願い致します。
大森 個人的にも懐かしいですし、多分僕なんかのちょっと上の年代の方、ストーリーを観て懐かしむものもあるだろうし、その時代のそれに付随する、いろんな子供時代のことも一緒に思い出して頂ければ良いかなぁ、と。
――お忙しい中、どうもありがとうございました。

Profile
おおもり・しゅんすけ:1953年10月18日生。東京都出身。小学校1年生のときに劇団日本児童に入団。子役として活躍し、『隠密剣士』の周作少年役で人気を博す。その後、小学校6年生で芸能界を引退。現在は都内建設会社に勤務。