鈴木清スペシャルインタビュー

 

1973年7月4日(水)――『スーパーロボット レッドバロン』放送開始!
……新たな鋼鉄伝説が幕を開けた……。
そこで誕生36年を記念して、メイン監督である鈴木清氏にお話を伺った。

『アイアンキング』撮影・監督
『スーパーロボット レッドバロン』監督

鈴木 清スペシャルインタビュー PART1
取材・構成/岩佐陽一

鈴木清

 

――これまでのどの資料を拝見しましても、『シルバー仮面ジャイアント』の第25、26話の特撮監督が、鈴木さんの宣弘社ヒーロー作品への初参加ということになっているのですが、実際にオープニングのテロップを観ると、大木淳(吉)さんのお名前になっておりますね?
鈴木 今回、なんとか記憶をたどろうということで、昨日、一昨日と『ヒーロー大全集』みたいなものをひも解いてみましたが、確かに『シルバー仮面』の最後を……特撮監督をやってるって記録されているんだけれども、自分としても全く記憶がなく。今日ちょっと、映像が観たいということで観させて頂いたら、案の定、僕じゃなくてやはりオオキちゃん(大木淳氏)だった、と。鈴木自身は『シルバー仮面』というのは、このときの制作会社である日本現代企画に……僕はもちろん所属していたので、会社としては制作したって記憶があったのね。自分が参加は、やっぱりしていなかったということが今日、判明しました。訂正してください(笑)。
――承知しました。鈴木さんのご記憶にも『シルバー仮面』に参加された憶えは全くない訳ですよね?
鈴木 いやぁ、ないですよ。丁度その頃っていうのは僕は、円谷プロで『帰ってきたウルトラマン』(71年)の本編のキャメラマンをズッとやってましたんで。被っているはずなんで、制作の時期がね。そういうったことでは、あり得ないことなんで……やはり、そうでしたね。
――以前から鈴木さんにお伺いしたかったのですが、日本現代企画の社名は、実相寺昭雄監督や池谷仙克さんが興されたコダイグループに対して、“向こうがコダイ(古代)だからこちらは現代で”と、どなたかがおっしゃって命名されたという逸話は本当なのでしょうか?
鈴木 これは熊谷健さんっていう方が名付け親なんで、まさにおっしゃった通りですね(笑)。
――熊谷さん(編注:第2期『ウルトラ(マン)』シリーズの円谷プロサイドのプロデューサー)だったんですね。
鈴木 自分からは言わないかもしれないけど、こちらから言えばそう言いますよ(笑)。
――それでは、鈴木さんと宣弘社ヒーローの1st.コンタクトは『アイアンキング』となる訳ですね?『アイアンキング』の企画の起ち上げには参加されていたのでしょうか?
鈴木 企画の起ち上がりのところが希薄なんですよね。確か、制作会社が宣弘社で現代企画は制作協力の立場でしたし、橋本洋二さん(編注:TBSサイドのプロデューサー)という方は、現場に降りる頃には、自分たちで全部固めた後だから。
 小林(利雄)社長(当時)……現在の小林隆吉社長のお父上が作られたそれまでのいろんな作品を観ていると、“やっぱり娯楽作品を ……”ということを常に言われていたんで、『シルバー仮面』って前半、結構難しい内容で……。そういったことでは、なかなか口に出して言えなかったのかもしれないけど、今振り返ってみると決して自分の好みに合った作品じゃなかったんじゃないかな? っていう気がします。結局、そういったことで軌道修正していくことになり、“じゃあ巨大ものに ……”ってなっていく。一度は挑戦させてみるんだけど、“やっぱり違うだろう?”っていう風なことになっていった気がしますよ。
 橋本さんもそうだけれども、何本かシリーズを転がしていくと、やっぱりいろんなことに挑戦したいって想いが出てくるから……プロデューサーってみんなそうなんですよね。何かテイストを変えたい変えたいっていう新しいものへの挑戦があるんです。そうすると、そういう苦しみっていうかな? 作品を観ていくと分かるのね。
――確かに『シルバー仮面』には橋本さんの苦悩が現れていますよね。“脱・ウルトラマン”でスタートしていながら、徹し切れなかったというか。
鈴木 『帰ってきたウルトラマン』の頃もちょっと尋常ではない雰囲気があったね。僕ら、シリーズを現場で撮っててね。“ええっ!?”っていう感じ……“これでいいの?”っていう。嫌いな人は嫌いなんですよ、『帰ってきたウルトラマン』って。何かといったら、あのチーム(MATのメンバー)がいがみ合うんですよ。あれが嫌だって言うの。
“子供たちにとっては、あゝいうものをやっぱり観せてはいけないんじゃないか?”っていう観方もあるし。でも、それは新しい挑戦なんだっていう“作り手側の挑戦”っていう意味での味もあるし……どっちがいいとか悪いっていうことでもないんだけれど。
 ちょっと、やってて僕も嫌だった、正直(苦笑)。でも、撮影そのものはこれまでにないウルトラシリーズにしたいと本当に頑張ったし、スタッフも俳優さんたちとも和気あいあいやってましたよ。
――続く『アイアンキング』では、アクションが見所のひとつになっていますが。
鈴木 “とにかくアクションはスピーディーに”ということでは、TVのスピード感を巧みに表現している宣弘社さんの代表作として『隠密剣士』(62年)という作品がある訳ですね。そのスピード感には非常に憧れていた思いがありましたし。それと、僕らが『ウルトラ』から学んだ特殊技術との融合が『アイアンキング』という作品として誕生していく訳で……そういったことで非常にステップアップできる『隠密剣士』チームと『ウルトラ』チームの混成は、理想的なスタッフィングだった気がしますよね。
――アクション面で工夫された点は?
鈴木 アクションていうのは“スピードを上げなきゃいけない”って思いがあったから、最初、ほんのちょっとなんだけどね。3、4コマなんだけど、1秒間24コマを20コマぐらいに落としたのかな? 撮って上がったラッシュを観てね……自分自身も“これはちょっと落とし過ぎちゃったな ?”っていう思いがあったんだけど(苦笑)。主演の石橋正次さんにひどくそこを叩かれて(苦笑)。“自分のアクションはノーマルで撮ってほしいんだ”ってキツく言われたのをいまだに思い出しますよ(苦笑)。そういった意味では、殺陣の高倉英二さん含めて僕は非常に呼吸感が合ったので、彼の殺陣の先を読んで撮影することができましたね。『ウルトラ』ではあまり殺陣って特撮の部分しかなかったんだけど、本編でこれだけ立ち回りが多いというのは結構、僕自身も新しい挑戦ではあったんでね。

レッドバロン
宣弘社と円谷プロの伝統が、見事に融合して誕生した『アイアンキング』。その映像は21世紀の視点で観ても、まるで色褪せることはない
 
PART2へ続く
(2009年 6月24日)
 

Profile
すずき・きよし:撮影・監督・プロデューサー。1942年生。大阪府出身。'64年に円谷プロに入社。『ウルトラQ』(66年)の撮影助手を経て『ウルトラマン』(66年)後期よりキャメラマンに昇格し、『ウルトラセブン』(67年)や『帰ってきたウルトラマン』(71年)等で活躍。『スーパーロボット レッドバロン』で監督デビューを果たし、『少年探偵団』(75年)からはプロデューサーも務めるように。以降、『ウルトラマン ゼアス』(96年)や『ウルトラマンコスモス』(01年)などの映画を企画・プロデュース。チーフ・プロデューサーとして'08年公開の『大決戦!超ウルトラ8兄弟』を大ヒットに導いたことは記憶に新しい。