田村正蔵スペシャルインタビュー

 

『月光仮面』(58年)を生んだ、本邦TV界屈指のエンターティナー=宣弘社が送った真夏の夜の悪夢――『恐怖のミイラ』……!
 あれから48年後の今夏、全14話を監督した辣腕=田村正蔵氏が、当時、日本全土を震撼とさせた“TV界始まって以来の恐怖”の真髄を語る……!!

『恐怖のミイラ』監督
田村正蔵スペシャルインタビューPART1
取材・構成/岩佐陽一

田村正蔵

 

――田村さんといいますと、『恐怖のミイラ』という印象が強いんですが。田村さんの世界観をすごく体現している作品と申しますか。
田村 あれはまいったよ、しかし(苦笑)。
――“まいった”と言いますと?
田村 頭、出だしの第1、2話はね、ホン(脚本)の打ち合わせにまで参加して、もったいぶらずにミイラをどんどん出していこうと言ったんです。第1話か第2話で既に。ところがミイラを呼び出したのはいいけど、パトラ姫(三条[條]魔子)に対する慕情だけで、ミイラの生きる目的がないんです(苦笑)。
――え ! ? 第1話の時点では、あの設定はなかったんですか?
田村 なかったんです。元々短編なんですよ、『少年クラブ』(講談社)に載った。
――高垣眸さんの原作ですね。
田村 ペラ(400字詰原稿用紙)10枚もない。夏の特別な……なんていうか、オマケ(付録)本ていいますか。ペラでページにしたら、2、3ページくらいかな。
――そんな短編だったんですか!?
田村 だからミイラが出た後、“おい、どうする?”って、そういう風になっちゃって(苦笑)。
――じゃあ、パトラ王女(三条[條]魔子)に叶わぬ恋をして、その幻を求めるみたいな話は完全に……。
田村 ないない。
――TVのオリジナルで。
田村 うん。もう、しょうがない。捜し求めてうろうろうろうろうろうろ(笑)……ただうろうろさせるだけ。夜間ロケの連続でもう、まいっちゃった(苦笑)。

恐怖のミイラ
板野博士(佐々木孝丸)とその助手、牧村(真弓田一夫)は、4000年前のエジプトのミイラを日本に持ち帰り、再生実験を重ねていた。それにしても、よく税関に引っかからなかったものだ

――オープニングは丸の内のレンガ街で撮影されたとお聞きしたんですが。
田村 そうそう、オープニングは丸の内。
――後半の、例えば警察隊との追撃戦みたいなシーンを、赤羽で?
田村 赤羽にも行ったね。
――一時ギャング団にかくまわれるみたいな展開になって。潜伏したりもしてますけど、その辺が赤羽ですかね?
田村 そうですね、あの辺。すごい廃墟だったですからね、あの当時。
――モダンな、都会的な雰囲気も強調されてましたけど、あれは狙いですか?
田村 うん、まぁ狙いといえば……フランス映画風に。できるだけ東京という都会の話にしたかったんだけど、あゝいう話にしかならなかった。ナイトシーンも多いし、あんまり夜のロケーションばっかり撮れないんで。田舎のほうが撮影は楽だし(笑)。あの博士(板野博士)の家は成城のお屋敷を借りたんですけどね。
――(新)東宝の佐々木孝丸さんがよくご出演されたなと。
田村 そうですね。(東宝の)船橋元さんの例もあったしね。俊ちゃん(西村俊一プロデューサー)の政治力ですね。佐々木さんは綜芸プロからの繋がりでもありましたし。
――ミイラのメイクはどなたがやられてたんですか? あの当時にしては画期的でしたが。
田村 あれはね、大橋さんという京都映画の運輸部の人が器用で、ピンポン玉で目を造って、瞼にはさんで異様な風貌を考えてくれました。一番最初にミイラになった外人さん? あの外人さんていうのは、いわゆる細目の……。
――バブ・ストリックランドさんですね。
田村 京都のバーテンダーさんだったんです。素人さんでしたが話に乗って出演してくれたものの、スケジュールが取れなくて、後半は大橋さんが吹替をやって下さいました。

恐怖のミイラ

当時としては、あまり馴染みのなかった法医学者を演じた舟橋元氏。この後、TVドラマには欠かせぬ名バイ=プレイヤーとなっていく

――ということは、変貌した後のミイラは、大橋さんがスタントというか吹替を演じられたんですか?
田村 いや、頭(前半)だけで。後半はスタッフがやってました。スタッフにすごい背の高いやつがいてね。だから後半のほうが痩せてる顔でしょう? 頬が(笑)。そのスタッフは細かったから。背は高いんだけど。だからミイラは、後半はちょっと痩せた(笑)。
――じゃあ、バブ・ストリックランドさんが全部演られていた訳ではないんですね。
田村 ないです。
――そうですか。オープニングで、ミイラが西部劇風のバーの開き戸を入って行くのはすごいセンスがよかったというか。
田村 日本で全部やりましたけど。あゝいうのは外人さんじゃないと雰囲気出ないですね。
――あのオープニングのイメージというのは田村さんがお決めになったんですか?
田村 あれはそうですね。
――コンテを切られて。
田村 うん。
――何か基になったものとか?
田村 別にないです(笑)。
――でも、あの頃のホラーといえば……ホラーという言葉自体はまだなくて、怪談という言い方をしていたと思いますが(笑)。怪談といえば、和室があって幽霊が三角頭巾被って……という、いわゆる中川信夫さん(編注:怪談演出に定評のある新東宝出身の監督)的な怪談映画が主流だった時代に……画期的だったなぁと。
田村 なんか変わった雰囲気のがないかな? ってことで。あの時分、照明部もなかなか凝った画を見せてくれましたけどね。
――照明は素晴らしかったですね。あの影も全部照明効果ですもんね。
田村 そうそう。

 
PART2へ続く
(2009年2月)
 

Profile
たむら・しょうぞう:監督・プロデューサー。1924年12月25日生。大阪府出身。'46年に綜芸プロダクションに入社。東映京都撮影所で助監督を務めた後、'58年、宣弘社プロダクションに入社。『快傑ハリマオ』(60年)にて監督に昇格。以降、『恐怖のミイラ』(61年)や『隠密剣士』(62年)でメガホンを取る一方、武田薬品工業や三洋電機のTV-CFの制作に携わる。'67年、プロデューサーとして宣弘社に移籍。『光速エスパー』(67年)や『ガッツジュン』(71年)などの作品をプロデュースした。現在も映像製作者・プロデューサーとして活躍。近作に映画『ポチの告白』(09年)がある。